昭和年間に貼られた天井の古臭いベニヤ板を引き剥がすと、煤埃の闇の中に立派な梁が見えた。
現代工法では、お目にかかることのできない、丸太の一本梁だ。
棟札も見えた。「大正十五年」。
築90年を超えることが知れる。
取り壊すのは簡単だが、二度と再建できないだろう。
「良い梁だなぁ」と、ヘッドライトを付けて脚立を登ってきた母が言った。
「ここをロフトにしよう」
母は、高野山清凉院の建て替え工事の采配を振るった実績がある。
屋根裏から下りるなり、「まず勉強せよ」と、段ボール箱一杯の本を渡された。
古民家再生、建築の基礎知識、家の解説書、施工のノウハウ、DIY読本、雑誌、カタログ、エトセトラ。
こうして、2017年九月、東福寺復興と、苦難の物語が始まった。
フードを被り、ヘッドライトを装備、防塵マスク装着。脚立を掛け、屋根裏に潜入する。
床一面にオガクズが堆積している。発泡スチロール前時代の緩衝材だという。
謎の木箱があり、オガクズで一杯になっている中を見るのが怖い。
手を突っ込み、ゴミ袋にオガクズを移しながら、恐る恐る覗き込めば、ガラスの割れたブリキ灯篭が2つ。
使い物にはならない。廃棄処分。
他に目につくものは、竹竿数本。
長机、火鉢(オガクズで一杯)、簀戸など建具。
脚立を上り下りして、一つ一つ慎重に階下へ降ろす。
次に、箒で床を穿く。煤埃が真っ黒に舞い上がり、汗ばんだゴーグルにへばりつく。
閉ざされた視界に、朧げに床板が見えた。
雑巾は一拭きで真っ黒になる。
箒や煤払いでは太刀打ちできない。
デッキブラシは折れた。
期待の新機投入、高圧洗浄機を買った。
水を張ったバケツを天井裏に運び上げ、タンクに蓄える。
消毒薬を充填して勢いよく放射すると、百年分の汚水を頭から被った。
レインコートを着込み、長靴を穿き、ゴム手袋とマスクとゴーグルで重装する。
洗浄機のノズル先をガン仕様からブラシに替えて、ヘッドライトに浮かび上がった梁を一本一本擦り洗う。
九月、残暑。風通りのない屋根裏は蒸し暑く、レインコートの中は汗だく。足元はビショビショ。
張り巡らされた碍子は、どこかで漏電している。感電しないようにブレーカーを落とした屋根裏は真っ暗。
暗闇の中、ヘッドライトの灯だけを頼りに掃除する。
滴り落ちる水でブヨブヨにふやけたベニヤ板は、いつ抜けるか分からない。
うっかり踏み抜くと、土間に転落する。
体重を分散させるよう細心の注意で、垂木の上を歩く。
一瞬も気が抜けない。
休憩のため階下へ降りる。
明るい太陽の下で、張り詰めていた緊張を解く。
消毒薬に肌が焼ける。
鼻から臭いが抜けない。
屋根裏奥の部屋に明り取りの窓が見える。
覗き込めど、暗闇。
見えなくとも分かる。
悪夢的な想像に蓋をする。
小さな空間は、物置にも使えない。
見なかったことにしようか。
母に相談すれば、階下から天井を落としてしまえ、と言う。
仰せの通りに、床板を抜けば、下からの陽光が屋根裏に差し込んだ。
掃除が完了すると、大工さんや左官屋さんの手で、工事が進められた。
補強の貫が入り、床が貼られ、土壁には漆喰が塗られた。
土間の壁が抜かれ、ステンドグラスの建具が嵌められた。
2月、窓越しに雪中の梅花を独り眺めた。
春を迎える頃、階段が掛けられ、ロフトが完成した。
破風は、寺院建築の花形だ。
北面の破風には、日本文化の象徴でもある城を模した狭間格子。
堅剛にして優美。
南面の破風には組子格子がはめられ、華美。
光が織りなす陰影を楽しめる。
ロフト手摺には、書院戸を用いた。
角には筆返しを設け、優雅さを演出。
土間から見上げれば、ロフトとは申せ、まるで階上の床の間のような風格さえ感じられる。
暗闇を覗きこんだ窓には、新潟の解体屋の倉庫で見つけてきた欄間がぴったりと填まった。
組子に和紙を貼り、外の明かりを取り入れるよう工夫した。
夜になれば、階下の灯りが障子窓を幻想的に彩る。
床板は、京都から調達してきた。
手前の部屋は杉。奥は桜。素足になって違いを楽しんでもらいたい。
手前の部屋を「南天」、奥の部屋を「北天」、合わせて「天上閣」と命名する。
コンセプトは、「旅」「自由」「友愛」。
ドイツで買った風鈴、スリランカから個人輸入した机。
ブラジルから持ち帰ったハンモックは、金具でしっかりと補強されていて、安全で快適。
電気の配線は、目障りにならぬよう、屋根組の隅を走らせている。
日の出には組子格子、日の入には狭間格子から、陽光が差し込み、建組みの妙を美しく浮かび上がらせる。
夜は、秘密基地のような気分で、気の置けない仲間たちと酒を酌み交わし憩う。
夏になれば、明るく風通しの良い屋根裏で、ハンモックに揺られながら、旅の夢に微睡むのも楽しみだ。
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