キッチンの改修は、悪夢だった。
ゴキブリとネズミとヤモリの饗宴の後始末。
昭和年間に張られたベニヤの天井を落とすと(昭和の建築には遺すべきところが何もない)、もうもうと舞い上がった煤埃の先に、真っ黒な梁が見えた。
母の東福寺譚によれば、台所にはおくどさん(竈)があり、薪を使って料理していたとのこと。
煤けた梁の風合いをそのまま活かすことにした。
キッチンは、食事を行う場所だ。
「アンティーク風」「レトロ調」は結構だが、古い&汚い&不潔はいただけない。
高圧洗浄機で徹底的に消毒洗浄した。
消毒薬の臭いが数軒先まで及び、何事かと騒がれた。
消毒薬をタンクに充填し壁に打ち付けると、真っ黒な汚水がブルーシートに飛び散った。
思いがけずインスピレーションを得て、壁紙に投影した。
ブラジルにサン・ルイスという街がある。
奴隷貿易でボロ儲けしたポルトガル商人が、当時高級品であったタイルを買い求め、富の象徴として、こぞって住居の壁に敷設した。
あこぎな商売で贅を凝らした街だ。
時は移り、かつての街区は半ば廃墟となり、整備されることもなく、現在も人が住んでいる。
観光地として整えられた区画は、かつての偉容を誇っているが、一本路地裏に入ると、店舗にはシャッターが下ろされ、暗がりに危険が息を潜めている。
それでも、歴史情緒ある街並みは美しかった。
安宿を取り、街をくまなく散策した。
通りの向こうから銃声が聞こえた。
「スマホを見せて歩くな」と一喝された。
一人旅は、常に命の危険と隣り合わせだ。
水場である台所には、タイルが最適だ。
「サン・ルイス風」というコンセプトが早々に浮かんだ。
東福寺の台所は床下が低いため、水はけが悪く、湿気がこもってしまう。
湿気は、床を腐らせ、害虫の住処となる。
厄介なのは、白アリだ。床から柱を食い荒らし、やがて家屋を倒壊させる。
そうならない策を講じなければならない。
アメリカの知り合いの家のキッチンの床は、タイル張りだった。
居候していた僕は、彼女が出社した後、よくモップ拭きした。
タイルの床は頑丈で、いつも清潔だった。
東福寺のキッチンの床にも、タイルを敷くことにした。
在来の日本建築には無い工法だ。
まず、コンクリートのベタ基礎を打った。
意図をはき違えた設備屋が、ラーメン屋よろしく床下に排水管を敷いたのには苦笑した。
昭和期に塗られたコンクリートの味気ない壁に、壁土を塗り、上から白漆喰を塗り、更に灰色、黒と漆喰を塗り重ねた後、粘着テープとサンダーでダメージ加工を施し、朽ちた風合いの壁を作り上げた。
モザイクタイルのアーティストといえば、グスタフ・クリムトが思い浮かぶ。
美意識にシンパシーを感じ、クリムト作『生命の樹』の壁紙を貼った。
画の上部に神棚を設け、大黒天を祀った。
さながら「神々のトゥリーハウス」といったところ。
時を超えた天才とのコラボ。
ラフスケッチであったクリムトの画は、『神々の樹』としてここに完成を見た。
洗い上がり跡の残る側面の壁には、古代エジプトのファラオとホルス神、ミュシャの「春の女神」と「秋の女神」のレリーフ、ネイティブアメリカンの太陽神を配した。あたかも「神々のマンション」といった様相。
世界中の神々が集い、賑やかに酒を酌み交わすことを願う。
”美と醜”
”東と西”
対極の出会い。混沌として禅。
更に、クリムトの手法を模して、陰のテーマを潜ませている。
コンセントカバーの絵柄は、一見ブーケ(花束)のようだが、よく見ると髑髏である。
人間は、死すべき宿命にある故、神を崇める。
神聖が際立つほど、死が鮮明になる。
死が意識されるほど、生が輝く。
梁には、「再生」の象徴である帆立貝のレリーフ。
”memento mori ”
キッチンは、生命の循環の舞台だ。
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