創建当初、本堂脇に汲み取り便所が作られた。(着任時には、すでに撤去)
時代が下り、昭和期に屋外便所が設けられた。
昭和年間、庫裏を普請したとき、便所(汲み取り)も新設された。
私が着任した時は、いずれの便所も古臭く不潔で、肥溜めの便臭が寺内に漂っていた。
汲み取りの大便所は、暗くて危なっかしく、使用のたび憂鬱だった。
尿石が固まった上からカビの生えた小便器は、配管が外れていて、用を足せば、自分の足に小便がかかった。
泊まりに来た友人は、そんな便所に恐れをなして、夜中にコンビニまで歩いて行った。
末代まで祟られそう。
最重要懸念事項だ。
屋外便所を一面に覆っていた蔦を無理やり引きはがすと、壁が崩落した。
蔦の下に現れた扉から潜入すると、コンクリートの天井は鉄筋むき出しで、悪夢に出てきそうなおどろおどろしさ。
一目散に退散だ。
解体して埋め戻した。
庫裏の古い便所は壊して、水洗便所を新設した。
おりしものコロナ禍で、便座が手に入らず、ネットから実店舗まで便器を探して東奔西走した。
朝から晩まで便器ばかり見て、流石に気が滅入った。
モデルルームのトイレに座り、図面に落とし、水回りの敷設に頭を悩ませた。
狭い間取り、低い天井に、どうやってトイレ(併せて風呂、手洗いなど水回り)をはめ込むか?
苦心の末、うまく収めることができた。
新設トイレの天井には、風呂解体時に保管しておいた格子天井を取り付けた。
不浄の間こそ、粋な趣向を凝らせたい。
孔雀の壁紙、ステンドグラスの窓、アンティークガラスの照明、モスク風の鏡を掛け、狭いながらも異国情緒あふれる空間に仕上げられている。
便座に座った人だけが見える仕掛けを設けた。
是非、トイレに籠り、自らの目で確かめてもらいたい。
期せずして、ノイシュバンシュタイン城の玉座の間と同じテイストとなった。
片や玉座、片や便座。
王様も乞食も、トイレに座ればやることは同じ。シニカルなアイロニーだ。
仏法の下では、全ての人が平等と説かれている。
人生で絶対に切り離せない時間、ひとつ哲学的な気持ちで、ゆっくりと腰を落ち着けて寛いでもらえたら幸いだ。
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