東福寺の本堂は、十五畳ばかりの外陣に、わずか一間半の内陣で構成されている。
着任当初、何の見映えもしない狭い本堂であった。
暗い内陣には、曰く因縁ありそうな代物が所狭しと詰め込まれていて、生者を寄せ付けぬ雰囲気が漂っている。
お供え物にゴキブリがたかり、厨子の中に、鼠が巣を作っていた。
本尊棚の下は真っ暗で、ただならぬ気配。
心を無にして、手前から順に運び出して徹底的に消毒洗浄した。
外陣の天井を抜いて、吹き抜け式本堂にするのは、念願であった。
教会然り。
モスク然り。
吹き抜け天井は、天上界まで繋がっているような爽快感と、神仏への畏敬を感じさせる。
脚立を掛け、梁を渡り、高圧洗浄機で百年分の汚れを落とした。
内陣では護摩を修するため、防火を徹底しなければならぬ。
高野山の寺院を参考に巡ったが、築数百年の本堂は、現代の防火基準を満たせるものではない。
現に、年に数件ボヤを出す。
ならば、自分で創作するしかあるまい。
現代の技術を用いて、防火設備を整えた本堂を作ろう。
たゆまぬ創意工夫が、新たな百年の礎になるだろう。
床にタイルを貼り、目地は耐火セメントで埋めた。
本尊棚には、瑠璃色の美しいマジョリカタイルを貼った。
壁に石を張り、防火扉としてアルミ雨戸を設けた。
天井には、ケイカル板を貼り、石膏レリーフを並べた防火板を吊った。
格天井を模した花天蓋だ。
一枚一枚に、信者さんの願意を寄せてもらった。
東福寺がある限り、祈られることだろう。
東福寺の建具は、私自ら全国を回って収集してきたものばかり。
関東と関西では、一間の間取りが異なる。
間口を合わせるため、大工さんが框に添え木して調整するのを見て、床柱を用いるように提案した。
適材を求めて、新潟の製材屋に行った。
幹模様が面白く捻じれた床柱を仕入れることができた。
大工さんが、卓越した技術で見事に添え付ける。
栃木から届いた建具は、建具屋さんが丁寧に調整した。
建具には、藤花の透かし彫りがあしらわれている。
高野山清凉院が、かつて「藤の坊」とよばれていたことを偶然に知り、不思議な因縁を感じる。
完成した外陣は、偶然の一致か、仏の思し召しか、内陣の壁紙と瓜二つ。
東福寺の外陣と内陣は、一体として仏国土なのである。
外陣に座す我らもまた、仏なのだ。
中庭「阿弥利他庭」に面する広縁の北方の欄間には、翼を広げた鷹が彫刻されている。
海老梁の松が、彫刻から飛び出したかのように、青空に伸びている。
南方の欄間では、松の枝に鷹が翼を休めている。
夕焼けの荒城に、朧月が浮かぶ。
天井から吊り下げられたシャンデリアは、モロッコ製。
大阪南港の倉庫から掘り出してきた。
ペンダントライトは、エジプト製のメタルシェード。
異国情緒あふれる祈りの空間だ。
インドで仏教が生まれて東漸二千五百年、空海入唐千二百有余年、今、東福寺に法灯が宿る。
破風に設けられた組子細工の窓から陽光が差し込み、夜となく昼となく金色の光明に照らされる「遍照殿」が完成を見た。
2022年6月15日、着工から五年。
遍照殿の落慶護摩法要が厳修された。
未来永劫、迷える衆生を導く法灯となることを願う。
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