東福寺を
創った僧侶

プロフィール


静慈彰 (しずか じしょう)

静慈彰 (しずか じしょう)


東福寺住職。和歌山県高野山生まれ。高野山清凉院徒弟。
高野山大学大学院密教学専攻博士課程修了。

2003~2006年、真言宗海外布教師としてロサンゼルス、シアトルに勤務。阿字観瞑想指導。世界宗教会議(@国連本部)にて声明講演。Burningman特設サイトにて護摩法要を厳修。
2008年、渡印。『サラスワティに連れられてインドを旅する』出版(春風社)
2008年12月「東京ヴィパッサナー瞑想道場」開講。
2011年、2012年、2015年 「高野山1000年まつり」主催
2016年7月 四国遍路完踏
2018年12月 『社会不適合僧侶の究極ミニマル生活 くるま暮らし。』出版(飛鳥新社)
2021年10月 東福寺住職就任。

NHK『ひとモノガタリ』他、雑誌、新聞、メディア出演多数。

blog『take my GREAT DAYs』 アメリカ開教の記録。

『日々コレblog』~「フクシマ記」~「四国遍路記」~「流浪記」~「東福寺縁起」
大僧都
   
挨拶にかえて 百年之夢

2017年にドイツを旅行しました。
彼の地で驚いたのは、歴史的景観が保たれた街並みの美しさ。日本の古都・京都と比べても、規模・状態において圧倒していました。

さらに驚いたことに、それらは、第二次世界大戦で九割が倒壊したとのこと。
再建に費やした努力と資金には、驚嘆を禁じ得ません。それを成し遂げた市民意識の高さを感じずにはいられませんでした。気の遠くなるような再建への道のりは、市民たちの自国の文化への深い理解と愛着がなければ成し遂げられなかったことでしょう。
建築は、いつの時代も権力の象徴であります。ブレーメンの荘厳な市民庁舎を見上げ、彼の国の主役は国民であることに深く感じ入りました。誇りを見せつけられたように思いました。

ドイツ旅行中、念願であったノイシュバンシュタイン城を訪れました。
百年前、建築に狂想したルードヴィヒ二世の夢が、今もドイツの経済を潤し続けているのを感じました。
時を同じくしたドイツ帝国は、宰相ビスマルク主導の下、軍備拡張に邁進、第一次世界大戦を引き起こして壊滅。続く第二次世界大戦は、ドイツの都市の大半を焦土と化し、経済を衰退させましたが、ルードヴィヒ王の遺構は残り、現在もその価値を高め続けている。平和と芸術こそ、何物にも代えがたい文化遺産であることを確信しました。

帰国してから、忸怩たる想いを抱えて、日々を過ごしました。
日本の町並みがもはや美しいと思えず、みすぼらしいバラックの集合体に見えました。
価値を見直されることなく取り壊されてゆく伝統的日本家屋。除夜の鐘にクレームをつける国民性。自国の文化を壊すのは、国民自身であるのを感じ、悲しくも情けなくなりました。

国の財産とは何か?

私は、世界遺産・高野山で育ちました。国宝の文化財や建造物、芸術、美術に囲まれた環境下で「本物を見る目」は自然と養われたように思います。絵画然り、音楽然り、本物に触れることでしか養えない感性があります。
永い年月をかけて育んできた伝統・文化、培われた技術・感性の歴史こそが国の財産です。
数十年ともたないプレハブ住宅で、張りぼての家財道具に囲まれて、商業主義のテレビが牽引する一時の流行に現を抜かす現状の日本にあって、その感覚を養うのは、難しいと言わざるを得ません。

美しき伝統と文化をなんとか次世代に伝えられないか?

ある親日家のアメリカ人歴史学者が、「日本の街並みは壊滅的。古き良き景勝は、ただ寺社仏閣に残るのみ」と、語りました。
また、あるドイツ人建築家は、「日本人は、なぜ宝石(古民家)を捨てて、河原の石(現代住宅)を拾うのか」と、疑問を呈しました。
彼らの言説に我が意を得たように感じ、2017年に東福寺(滋賀県彦根市高宮町)の再建を決意。荒れ果てた寺の改修工事に着手しました。

その間にも待ったなく解体され、失われていく旧中山道・高宮の宿場町。解体現場に足を運び、家主に掛け合い、もらえるものは譲り受け、使えるものは再利用しました。壊され捨てられる瀬戸際で救い出された建材や石材は、東福寺で再び役割を与えられ、輝きを放っています。今後、永く寺を支え、歴史を語り継いでいくことでしょう。

伝統は、ただ継承するだけでは古びていくのみです。新しいことにどんどんチャレンジする。そうした試行錯誤の結晶こそ、伝統の真髄であります。科学の躍進や技術の向上がそれを支えます。
そうした精錬を数百年積み上げれば、簡単には壊せない金剛石となります。それが、国の揺るがない財産となるでしょう。伝統の継承を怠れば、その国は価値を失くし、衰退、消失していくばかりです。目先の儲けばかり追い求めるならば、数百年後、取り返しのつかない損失を被るでしょう。

東福寺は、今まで誰も見たことのない斬新な趣向や実験的工法がいたるところに用いられています。
伝統と革新、破壊と創造、過去と現在がぶつかり合い、切磋琢磨することで、誰も見たことのない寺が出来上がりました。それは、新たなスタンダードの創造です。

また、東福寺では、私自身が世界中を旅して目にした美しい造形を、あちこちに見ることができます。
蒙昧で独善的な国粋主義は、対立と差別を生みます。本物の自尊心は、他者への理解と慈愛を促し、「相互礼拝」をもたらすと信じています。
日本の伝統の再評価と併せて、世界中の文化文明が全て等しく貴いこと、平和の尊さ、芸術がもたらす心の豊さを感じ取っていただければ幸甚です。

百年後に残る建築を念頭に工事を進めてまいりました。その挑戦は、今後も終わることはないでしょう。

東福寺は、建築と人間のリプロダクトの聖地です。
当寺が、伝統文化への敬意を促し、自尊心を育み、誇りを持って自分自身を発信する時代の最先端であり続けることを祈念致します。


2022年6月15日 東福寺落慶記念
東福寺住職 静慈彰

TOP