中国・蘇州。
日が落ちると、明かりが灯された運河沿いに、魅惑的な歴史慕情が艶やかに浮かび上がる。
まるで、中華王朝の麗人の霊魂が、月夜に見る甘美な夢。
誘われるまま歩み入った路地裏に、その古飯店(ホテル)は在った。
覗き込んだ玄関ホールに人の気配はなく、仄かに照らされた室内、アンティーク家具が品良く据えられている。
天井は高く、光は届かない。
暗闇の中、何かが潜んでいるように感じられるのは、伝説の魔物・饕餮か。
いつかまた訪れた時、幻のホテルは変わらずに佇んでいるだろうか。
たとえ春の夜の夢の如く掻き消えたとして、数百年後また旅人が路地の奥で迷い込むだろう。
三国伝来。
日本仏教を語るうえで、中国を素通りすること能わず。
中華風の部屋を作ろうと思い立った時、蘇州で見た夢幻の古飯店の部屋が浮かんだ。
宿泊こそ叶わなかったが、不思議とイメージは明確。
時代は、17世紀半ば~18世紀。
東洋と西洋が交錯し、新しい文化が花開いた時代「シノワズリ」。
北方民族柄の赤絨毯に、チッペンデールスタイルの椅子を置くことは既定であった。
天井板の隙間が、ガムテ―プで目張りされていた。
屋根裏から落ちてくる“あるもの”を防ぐためだ。
何かは、もう言うまでもない。
汚らしいガムテープを削り取り、鼠に食い破られた壁板をはがし、床を張り替え、天井を塗り直した。
大寒中の作業で、身体が芯まで冷え、体調を崩し二カ月間寝込んだ。
春になり、ようやく身体が動くようになって、作業を再開した。
ネットで購入した建具を洗い、修復し、漆を塗り、障子紙を貼った。
木蓮の壁紙を貼り、新潟の倉庫で掘り出した天井飾りを取り付けた。
小道具屋で衣桁を調達し、カーテンをオーダーメイドし、玄関からの目隠しとなる几帳をこしらえた。
繁栄と栄華は、常に征服者たちの歴史である。
大スペクタルに栄枯盛衰を繰り返す中国歴代王朝。
女真族の征服下で華開いた清王朝。
アヘン戦争から続く西欧列強による植民地時代。
古代より続く支配・被支配の世界史。
シノワズリに見られる、遠い異国への未知と好奇こそ、双方に幸せな時代であるのかもしれない。
几帳が平安時代からの風をはらみ、涼しげに戦(そよ)ぐ。
強者どもの春の夢。
浮世の盛衰、風の前の塵に同じ。
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