東福寺日記

カイソウ録 其之十四 「遍照殿」

東福寺の本堂は、十五畳ばかりの外陣に、わずか一間半の内陣で構成されている。

 

着任当初、何の見映えもしない狭い本堂であった。

 

暗い内陣には、曰く因縁ありそうな代物が所狭しと詰め込まれていて、生者を寄せ付けぬ雰囲気が漂っている。

 

お供え物にゴキブリがたかり、厨子の中に、鼠が巣を作っていた。

 

本尊棚の下は真っ暗で、ただならぬ気配。

 

心を無にして、手前から順に運び出して徹底的に消毒洗浄した。

外陣の天井を抜いて、吹き抜け式本堂にするのは、念願であった。

 

教会然り。

モスク然り。

吹き抜け天井は、天上界まで繋がっているような爽快感と、神仏への畏敬を感じさせる。

 

脚立を掛け、梁を渡り、高圧洗浄機で百年分の汚れを落とした。

内陣では護摩を修するため、防火を徹底しなければならぬ。

 

高野山の寺院を参考に巡ったが、築数百年の本堂は、現代の防火基準を満たせるものではない。

現に、年に数件ボヤを出す。

 

ならば、自分で創作するしかあるまい。

現代の技術を用いて、防火設備を整えた本堂を作ろう。

たゆまぬ創意工夫が、新たな百年の礎になるだろう。

 

床にタイルを貼り、目地は耐火セメントで埋めた。

本尊棚には、瑠璃色の美しいマジョリカタイルを貼った。

壁に石を張り、防火扉としてアルミ雨戸を設けた。

天井には、ケイカル板を貼り、石膏レリーフを並べた防火板を吊った。

格天井を模した花天蓋だ。

一枚一枚に、信者さんの願意を寄せてもらった。

 

東福寺がある限り、祈られることだろう。

 

東福寺の建具は、私自ら全国を回って収集してきたものばかり。

 

関東と関西では、一間の間取りが異なる。

 

間口を合わせるため、大工さんが框に添え木して調整するのを見て、床柱を用いるように提案した。

 

適材を求めて、新潟の製材屋に行った。

幹模様が面白く捻じれた床柱を仕入れることができた。

 

大工さんが、卓越した技術で見事に添え付ける。

栃木から届いた建具は、建具屋さんが丁寧に調整した。

建具には、藤花の透かし彫りがあしらわれている。

 

高野山清凉院が、かつて「藤の坊」とよばれていたことを偶然に知り、不思議な因縁を感じる。

完成した外陣は、偶然の一致か、仏の思し召しか、内陣の壁紙と瓜二つ。

東福寺の外陣と内陣は、一体として仏国土なのである。

 

外陣に座す我らもまた、仏なのだ。

中庭「阿弥利他庭」に面する広縁の北方の欄間には、翼を広げた鷹が彫刻されている。

海老梁の松が、彫刻から飛び出したかのように、青空に伸びている。

南方の欄間では、松の枝に鷹が翼を休めている。

夕焼けの荒城に、朧月が浮かぶ。

天井から吊り下げられたシャンデリアは、モロッコ製。

大阪南港の倉庫から掘り出してきた。

ペンダントライトは、エジプト製のメタルシェード。

 

異国情緒あふれる祈りの空間だ。

インドで仏教が生まれて東漸二千五百年、空海入唐千二百有余年、今、東福寺に法灯が宿る。

 

破風に設けられた組子細工の窓から陽光が差し込み、夜となく昼となく金色の光明に照らされる「遍照殿」が完成を見た。

2022年6月15日、着工から五年。

遍照殿の落慶護摩法要が厳修された。

 

未来永劫、迷える衆生を導く法灯となることを願う。

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