
鑑賞後、動けなくなる映画にどれほど巡り合えるだろうか。
それは、感情の処理が追いつかないからであり、圧倒的な時間の濃度に際し、どんな批評も感想も、薄っぺらく感じてしまうからである。
男のみでの開催となった、五度目の梵天座。
選定条件は、「男映画」。「戦争映画」枠で推挙されたのは、全ての男子の憧れの女性『マレーナ』。
監督は、名監督「ジュゼッペ・トルナトーレ」。
舞台は、二十世紀初頭。イタリアは、ファシスト党の独裁政権のもと、枢軸国の一員として宣戦。
地中海に浮かぶシチリア島もまた、世界情勢に飲まれていく。
マレーナ演じるは、イタリアの恋人「モニカ・ベルッチ」。
戦争は、彼女が穏やかに暮らすことを許さなかった。
まずは、カメラワークが素晴らしい。
街行く人々の間を練って、噂が飛び交う。
やがて人々の視線は、伏し目がちに歩くマレーナの美しい肢体に吸い寄せられていく。
白い肌の上を、女達の嫉妬と男達の欲情が交叉する。
少年の心と身体は、初めて覚える疼きに正直だ。
思春期のレナートには、突き上げる衝動に抗いようもない。
物語は、激しさを増す戦争と、少年の妄想の境を行き来しながら、展開していく。
鑑賞後、彼女の罪は何だったのか?を、考え込まずにはいられなかった。
もし有るならば、それは“美”しかったこと。
彼女の神々しいまでの美しさが、人々の心の平静を掻き乱し、奥底に潜む醜さを曝し、残虐さを浮き彫りにした。
引き摺り倒され、衣服を剥がれ、吊るし上げられ血を流す彼女は、キリストなのだ。
ならば、罪は、我々の側に在る。
物語の終焉、町の人と彼女が交わす挨拶を、万感の思いで観る。
それは、赦しであった。
彼女は赦し、人々は救われた。
少年レナートは、戦時を過ごした監督の投影であろう。
同監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』でも、戦争が時代背景となる。
両作に共通して、どこか可笑しさや明るさを感じるのは、監督自身が体験した戦時下のリアルだろう。
暗鬱たる戦争も、シチリアから太陽を奪うことは出来なかった。
称賛すべきは、モニカ・ベルッチの演技。
ただ美しいだけでない彼女の存在感は、マレーナそのもので、多くを語らない彼女を演じるに、彼女を置いて他にない。
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戦争は、レナート少年の心に傷創を遺した。
月日が流れ、砲火が遠い彼方となろうとも、波が打ち寄せるたびに疼く。
セピアの海と空に、鮮やかに白く浮かぶ記憶。
他の女のことは忘れても、忘れることのできないたった一人の女性。
誰の胸の中にも在る、僕だけのマレーナ。
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